シリーズ〜波瀾万丈、岩野の20代〜
シリーズ第7弾です。
広司も加入し、地道ながらに、徐々にではありますが、好調に活動していました。
そんな時に、BLuckのイベントで知り合った、一人の女性がいました。
長いファンは知っている方もいるかとは思います。
その方は、私達にある相談を持ちかけてきました。
それはスクールから出て、プロダクションを作らないか?というものでした。
正直今だから言える事ですが、どっからどう見ても怪しい雰囲気を漂わせ、『騙される感』満々な感じではあったんですが、、(((^^;)
ただ、私達はスクールにいる限り、『他の生徒と贔屓するわけにはいかない。』というのが、どうしても『壁』となり、思ったような活動が出来ないでいたのも事実。(>_<)
相当悩みました。。。
もちろん贔屓は出来ない中で、(営業譲渡してからの)スクールAP2としては、今までの中で一番良くして頂いたし、私自身も初めてまともに毎月給料をもらえていたし(200万の借金を返すために深夜バイトは引き続きしてましたが。)何より、他の生徒を見捨てるようなことになってしまうことが、一番頭を悩ませました(>_<)
そこでやはり一番にあった考えは『まずは成功例を出さないと、次が生まれない』ということ。
BLuckの成功が必ずや他の生徒の道しるべになってくれる日が来る!と信じて、騙され覚悟で、私とBLuckはスクール卒業し、プロダクションとなったのです。
この時が、岩野祐二27歳になった頃です。
そして2007年4月から遂に待望のテレビ番組がスタートします☆
順風満帆にスタートを切ったかのように見えた、プロダクションでしたが、、、
騙され覚悟で行ったとは言うものの、本当に見事に騙されてしまいました。。。(>_<)
そのプロダクションを作らないか?と持ちかけてきた女社長が、またまた借金を作って逃げてしまったのです(>_<)
実は女社長は、プロダクションができて最初の頃に、『あなたの身の回りを綺麗にしなさい』と言って、私がせっせと返してた借金200万(この時点では残り150万程度)を、肩代わりして払ってくれたのです!
そこまではなんて寛大な社長なんだ☆と思っていましたが、その女社長の残していった借金が、約400万、、、(>_<)
一気に倍にはね上がったのです(--;)
もぅこの時は、本当に心が折れそうになりました(>_<)
もぅダメかもしれない。
そんな時、『負けちゃいけない!諦めちゃいけない!』やっぱりそう思えたのは、ファンの応援があったからです☆
ファンの皆さんは、もちろん裏で私達がどんなに苦しんでるかはわからなかったと思います。
まぁメンバー全員、代表の私までバイトをしてたので、お金がないっていうのは想像出来てたかもしれませんが(((^^;)苦笑
もちろんCDが売れたり、グッズが売れたら、『利益』が入ります。
ファンの皆さんが沢山買ってくれるおかげで、儲かってるとか思っていた人もいるかもしれませんが、そういった借金の返済などで、事務所に残るお金なんて残念ながら微々たるものでした。
でもそんな中でもこうやって諦めずに続けてこれたのは、借金があるからとか、お金を稼がなきゃとか、そんなことじゃなく、どんな状況であったとしても、BLuckを応援してくれる人がいる、BLuckを心待ちにしてくれている人がいる、BLuckを生き甲斐に感じてくれている人がいる、BLuckの歌やダンスで元気に、笑顔になってくれる人がいる。
だから私達は何があっても続けてこれたんだと思います。
そして社長が逃げた事により、事実上、私がプロダクションの代表ということで新たに動き出したのが、27歳の6月からになります。
借金は400万。
まだまだ過酷な日々は続きました。(>_<)
この続きは、また次回。