シリーズ〜波瀾万丈、岩野の20代〜

昨日の続きです。


24歳になる頃に、北海道に戻ってきた私は、新しく設立されたアクターズスクールに入社しました。


そこでの初任給は9万円。保険なし。

2ヶ月目はゼロ。

3ヶ月目もゼロ。

4、5、6ヶ月目もゼロ。


と、全然給料がもらえない状態のまま、スクールは閉校となってしまいました。(>_<)


その後、私達スタッフやスクールの生徒を引き取るように、また新しいアクターズスクールが出来て、そこに入社しました。


そこの初任給は12万。保険なし。

2ヶ月目、3ヶ月目と、同じく12万円もらえた後、4ヶ月目から、またず〜っとゼロに。(>_<)


さすがに貯金も何もはたいてしまい、一銭もなくなってしまい、バイトを掛け持ちし、朝から夕方までテレフォンアポインタのアルバイト。夕方から夜がスクールスタッフ、深夜に野菜の問屋の仕訳の仕事。
朝の6時に終わり、家に帰る時間もなく、車で寝て、朝の10時にテレフォンアポインタに出勤、、、。という生活がしばらく続きました。

そのスクールの時に出来たグループが、『BLuck』の前身である『SET6』でした。

なんで給料が出ないのに、仕事を続けられたかと言うと、アクターズスクールとは、お金(月謝)を払って、レッスンに通い、夢を叶えようと努力する生徒達が集まる場所。
そんな彼ら彼女らを、簡単に見捨てる事はできなかったんです。


ただ給料が出ないなんて、まだまだ波瀾万丈の人生の序章程度にしか過ぎなかったのです、、、。


次回は、BLucの育成秘話を含めた、岩野25歳〜を書きます。